此の友の歴史

History

此の友酒造の始まり
木村家のルーツは武田信玄の家臣、飯尾右京之進直利の次男で、武田氏滅亡ののち現在の加古川木村村に移り住み、姓を木村に改めました。武家の赤松氏を慕って現在の但馬に移住。屋号を加古屋とし弟は竹田城の近くに、兄は矢名瀬で商いを始めたことが加古屋酒店の始まりです。
歴史年表

1690
元禄3年
現在の矢名瀬町に
元禄3年に創業

30年前に建て替える以前の土蔵には元禄3年の建物をという記録があり、
元の母屋にも元禄を示す古い造りが現れたという。

1848
弘化3年
豊岡藩当主8代目 京極甲斐守高行が休息本陣とする

『木蘇路日記』 豊岡藩当主8代目 
京極甲斐守高行が休息本陣として、
加古屋木村清右衛門宅を訪れていたと記されている。

歴代の豊岡藩主 京極氏は参勤交代の折、街道筋にある当蔵を休息本陣とし、旅の疲れを癒した。

『美なる哉 窓の梅』
加古屋木村清右衛門宅に休息した京極候が同家の庭先の紅梅が、
塀の窓から一枝を往来に伸ばして咲き香っているのを見て「美しい哉窓の梅」と嘆賞し、
以後酒銘にせよと命じたという。現在もリキュール酒として存在している。

1933
大正8年11月
合名会社 加古屋酒店(酒銘 富士冠)を経て、
株式会社 加古屋酒店設立
(酒銘 此の友)

酒銘の由来
謡曲『猩々』の一説
友に逢うぞうれしき 此の友に逢うぞうれしき
から取ったものである。

めでたく酒を栄え行く喜びをうたった縁起のよさと、
第一次世界大戦の頃に「戦友と最後に飲みたい最高の酒」という意を込めて命名された。

1988
昭和63年11月
此の友酒造株式会社 
社名変更(酒銘 但馬)
1994
平成6年
4月開始
但馬で唯一の地焼酎製造
(酒銘 天のひぼこ)

1996
平成8年
魚料理に合う、をコンセプトにした『骨まで愛して』の商品化
1997
平成9年
「米・水・技・心」の商品化

『伝統を未来へ』をモットーに、此の友の経営方針である
『和をもって、米にこだわり、水にこだわり、技を磨き、
人の心を打つ酒造り』を込めた「米・水・技・心」の商品化。

2016
平成28年
SAKE CONPETICON 
吟醸部門1位

(酒銘 加古屋)誕生

女性にターゲットに向けた「純米吟醸 や」の商品化。

2016
平成28年
姿を消した但馬強力米の復活

地元農家との契約栽培を勢力的に進める。

2019
令和元年10月
社屋改築・直売所オープン

2020
令和2年
大阪国税局吟醸酒部門
優秀賞受賞
2021
令和3年
大阪国税局燗酒部門
優秀賞受賞
2022
令和4年
大阪国税局燗酒・吟醸酒部門
優秀賞受賞
2014〜2022
平成24年〜
令和4年
全国新酒鑑評会
8年連続金賞受賞

※令和2年は予審のみ

Company

和をもって、米にこだわり、水にこだわり、
技を磨き、人の心を打つ酒造り

地元産の酒米と兵庫の分水嶺に位置する粟鹿山から湧き出る天然水を使用し、杜氏は長年の経験に裏付けされた技術を一心に注ぎ込みます。
それは、飲んだ人に愛される酒を造るため。ひと雫の誕生に想いを馳せ、心を込めるのです。当主 木村 祥三
会社概要
社名
此の友酒造株式会社(このともしゅぞう)
創業
元禄3年(1690年)
設立
大正8年(1919年)
代表者
代表取締役社長 木村祥三
資本金
1000万円
従業員数
8名
事業内容
日本酒・焼酎・リキュールの製造・販売
所在地
〒669-5103 兵庫県朝来市山東町矢名瀬町508
TEL
079-676-3035
FAX
079-676-3045
SITE
https://konotomo.jp/
ECSITE
https://konotomo.jp/shopping/
受賞歴
全国新酒鑑評会
北近畿唯一8年連続 全国新酒鑑評会受賞
金賞受賞(2014~2019.2021〜2022)
入賞2020(コロナのため結審が中止に)
大阪国税局
吟醸酒部門 優秀賞

2015.2016.2018.2019.2020.2022
燗酒部門  優秀賞

2007.2008.2010~2017.2018.2021.2022
SAKE
COMPETITION
2016年 吟醸部門1位

Access

● お車ご利用の場合
北近畿豊岡道路「山東IC」から約4km/5分
播但連絡道路「和田山IC」から約6km/10分
● 電車ご利用の場合
JR山陰本線「梁瀬駅」下車 徒歩約8分
JR播但線「和田山駅」下車 タクシーで約10分